番屋、おくど、竈、久留米、屋敷、旧家

久留米市北野町M邸 活用先募集(賃貸)

ここは、古民家というより、お屋敷である。敷地面積 7,500 ㎡、総建物延床面積 843.7 ㎡、外周は掘割となっており、漆喰づくりの白壁がぐるりと屋敷を囲んでいる、格式のある構えの門を潜ると、敷地内には、立派な木組みの大きな主屋、別棟となっている広い米蔵、衣装蔵、マツ、モミジ、ツバキ、カキ、クスなどが植え込まれた季節を巧みに演出した和風の庭園が屋敷の北側に広がる。ここ M 邸は、地域を代表する富農の屋敷であったという。「秋になると、近隣の農家で穫れた米がこの大きな米蔵にも入りきれないぐらい集まってきた。」と管理人さん。「雨が続くと川があふれるから、米を舟で運べるよう、この米蔵には舟が置いてあるのです。」田んぼが広がるこの場所に舟があることが不思議だったが、なるほど、これで解決。玄関から屋敷の中に入ると、2 階までの吹き抜けになっており、杉の巨木で組まれた天井に圧倒される。
左手に広い座敷。広い土間の奥に伽(おくど)がある。薪をくべて火を入れ、ここで、煮炊き、湯沸し、飯炊きをして、大きな屋敷に住むたくさんの人の食事の世話をしたのであろう、堂々とした風格が往時の賑わいを偲ばせる。玄関右に不思議な囲い部屋がある。「ここは、屋敷で食べる分の米を貯蔵していたところです。」玄関脇には、番屋もある。何とも優雅な話である。
 座敷は、玄関の間、座敷、茶の間、仏間など 7 間 +3 間の納戸。仕切りの襖を開け放つと、畳の部屋が延々と続く。2 階の部屋は家族で使っていたのだろうか、こちらも広々としている。「昔はお客様でそれはそれは賑わいました。」「お立派なお屋敷ですが、だんだん傷んできてとても残念です。」いえいえ、十分きれいにお世話されてますよ。
 衣装蔵の伴が合わず、中を見ることはできなかったが、この北野の地で古くから続く旧家の薫りと風景を十分に味合うことができた。帰りがけ、米蔵の前で蛇の抜け殻を見つけた。「守り主がまだ住んでいらっしゃるねえ。」
 筑後川に育まれた豊かな大地で、代々脈々と続く名家が刻んできた歴史を引き継ぐ邸宅は、訪れる人を温かく包み込むよう出迎えてくれる。
なかしまホーム

なかしまホーム ( 障がい者向けシェアハウス )

平成17年、福岡市社会福祉協議会に「福祉に役立てて欲しい」との遺言により寄附された建物。遺贈
者のお名前から、「なかしまホーム」と名付けられた。これまで、地域の方や各方面の福祉団体と『空
家活用検討会議』を開き、シングルマザーシェアハウスや公民館、共生型居場所づくり、子ども食堂、
フードバンク、地域サロン / カフェなど利活用の希望者を福祉転用の可能性を協議してきたが、条件が
合わず実現しなかったが、平成 29 年になって、福岡市や新宮町で障がい者向けの就労継続支援(A 型)
事業所や生活介護事業所を展開する社会福祉法人あきの会さんが利用者の通勤寮としての活用したいと
いう話が持ち上がった。
なかしまホームは、一般的な「居宅」であった上に、本来取得されるべき建築確認検査済証もなかった
ことから、シェアハウスとして活用するためには、建築基準法上の用途変更や福祉サービス事業所が守
るべき消防法の基準のクリアなど、改築に向けてのハードルは高かった。古家空家調査連絡会は福岡市
社会福祉協議会と協力し、転用時に守るべき法令に則った形での改築方法、双方のリノベーションに対
する考え方やその予算と負担、賃貸契約なども同時並行で考慮し、空家の福祉転用を進めた。福岡市の
監察指導課からの厳しい指導などもあったが、平成 30 年 10 月、無事に障がい者向けシェアハウス「な
かしまホーム」が完成した。
令和 3 年現在、残された家に託された遺志を継いで、4 名の軽度障がいを持つ方々がここで暮らしてお
り、支え合いながらも、それぞれの暮らしを楽しんでいる。近年、障がい者の中には、両親の高齢化な
どでケアが十分に受けることができず、実家に居住できなくなるケースも発生しており、障がいを持つ
方々の終の住処の確保が問題となっている。今後、古家空家の温かみを活かした、このような住居が増
えていくことを希望する。

大牟田市S邸

【丁寧に年を重ねた平屋(大牟田市)】
築60年以上 木造瓦葺平家建 78㎡ 4DK 駐車スペース(2台)
昭和30年代に建てられた平家の一軒家。大牟田市の中心部に位置し、駅まで徒歩圏内です。
室内は綺麗に使われておりほとんど手を入れることなくすぐに使うことができます。屋根や外壁、玄関構え、柱や床、畳などの内装は古さを帯びつつも、とても綺麗に保たれており、オーナー様が生まれ育った家をご両親亡き後もとても大切に守られてきたことがうかがえます。
南側の3つの和室は明るく、庭に面した広縁で繋がっており、古いながらもほっとできる昔ながらの日本家屋、まるでサザエさん一家が住んでいる家のようです。
オーナー様のご都合で空き家となったしまって1年、管理をしていたご親族も遠方にお住まいのため、オーナー様の意思を引継ぎこの家を大事に活用してくれる方を探しています。
いそのさわ、うきは市、日本酒

事業活用計画中(賃貸)いそのさわ主屋

うきは市で唯一の造り酒屋である ( 株 ) いそのさわ。
工場の敷地内には、創業当時からの味を守る麹部屋や、大衆酒や純米酒を造る大きな木造の仕込み蔵、その反対側には、新しい酒造りの象徴である吟醸蔵とそれぞれの蔵で仕込まれたお酒を貯蔵するタンクや瓶詰め工場などが建ち、仕込みの時期には日本酒の香りが一面に漂う。
現役の酒蔵としての活気にあふれる、その一隅に、築 120 年は経つであろう主屋が、その風格とともに鎮座している。
 正面の国道側から、主屋に入ると、古い台帳が山積みしてある土間。「昔はここに家族で住んで、ここでお酒を売っていたんです。」主屋の内部を案内してもらった現当主が言う。重厚な造りの受付と売台には、地元の方々がお酒を買うため列をなしていたのだろう、少しすり減った上がり框が往時の賑わいを彷彿とさせる。
その框を上がり、売台の脇にある厨房や居間を抜けて主屋の奥に進むと、今度は 40 畳はあろうかという大広間に出る。
「ここは地元の寄り合いの場所。地元のお祭りや行事、新酒のお披露目や祝い事の日は、ここに皆さんが集まり、浮羽の美味しい料理を囲んでお酒を堪能してもらってました。」
部屋を飾る網付きの引き戸や欄間の美しい意匠、庭を望むレトロな和ガラス建具なとどともに置いてある「磯の澤」の名前が入った火鉢、煙草盆つきの長火鉢など、あらゆる調度品が、明治大正の時期の酒造りの面影を色濃く残している。
 一階と二階を合わせると、部屋数は 10 を超える。
傷みが激しく、修復が必要な箇所も見受けられるがその広さと格式に酒蔵の歴史と往年の大家族の暮らしぶりが伺える。
ただ、その広さ故に、隅々まで管理が及ばず、雨漏りなどに悩まされた時期もあったが、一昨年、地元の方々や学生たちの協力のもと、ワークショップ方式を活用しての大規模修理が実施されたことで、屋根が吹き替えられ、主屋は新築当時の輝きを取り戻しつつある。

 2022 年の夏には、この主屋、近隣にある廃校の姫治小学校、新川田篭伝統的建造物群保存地区の茅葺き
の住居を使って大規模な事業が計画されている。
古家空家調査連絡会が中心となり、宿泊事業者に株式会社 VILLAGE INC、飲食業者として ( 株 ) いそのさわを中心とした浮羽地区の地元の方々などが集い、うきは駅から新川田篭地区を結ぶ導線一帯での泊食事業が展開される予定である。
うきはの美味しい食材と湧水の里うきはの水で醸した日本酒を味わいながら、農業体験やキャンプ、ワーケーションを満喫する、そんなうきはの魅力が満載のこの試み。実現するのが楽しみである。

株式会社 VILLAGE INC
https://villageinc.jp/

株式会社いそのさわ
https://isonosawa.com/
空家,福岡,和風建築

朝倉市H商店

朝倉で代々続いた造り酒屋だったというH商店。
かつては、周辺に広大な田畑を持ち、日本酒の命である湧水を美味しく保つために、たくさん山林を持っていたという。
戦後、酒造りは止めてしまったが、その主屋と庭園、隣接する酒蔵には、明治から昭和にかけて、盛んに酒造りが行われ ていた面影が深く残っている。
「H商店」と書かれた主屋の戸を潜ると、以前は帳場であったのだろうか、広い土間と仕切られた小さな執務スペースに迎えられる。
びっくりするのは、このまま住めるぐらい、良い状態に保たれていること。上がり框を上がると、一階部分は広い和室が6部屋。2部屋、2部屋と建具で仕切ってあるが、襖を開ければ、縁側を通して表庭と裏庭と部屋が繋がる一体感。
暑い盛りなのに、涼しい風が通りとても快適である。「近年はこの辺りもとても暑くなってきましたが、ここは、よほどでない限りクーラーは不要です」とのこと。
このまま縁側に座っていると、「ちょっと一杯、冷や酒でも」と言いたくなる。
土間にある階段から、二階に上がってみる。二階は、奥に和室2部屋、手前には土間を跨いで小粋な
橋が架かっており、その先に秘密の小部屋が一つ。「子どもの頃は、ここで暮らしていたんです」と
オーナー様。昔はきっと、皆さんの仕事ぶりや来客の様子を上からこっそり観察していたはずだ。
この主屋を作り上げている建材には、その特徴に合わせた様々な木材が使われている。
一階部分は、緻密な計算のもと組み上げられ、美しく化粧されたヒノキや杉の大木を使った梁や柱があらゆる部分に使われており、見た目に非常に美しい。
反対に、屋根を支える2階部分は、木材の荒々しさを活かした梁と柱の組み上げで構築されてる。それに加え、ケヤキの一枚板を加工して造られている表具や装具、収納可能な工夫を加えた杉板を使った雨戸、建物と一体的に造られている桐簞笥など、建てた当時の細部までのこだわりが、じんじんと伝わってくる。
建物を見に来ていた地元の職人さんがこう言った。

「建築時から相当な時間が経っているのに、仕口や継手に全く隙き間がなく、ゆがみや割れもない。この建物のために、当時一流の職人さんや材木の手配など、かなりの時間と費用を費やしていますね」

「こんな建物はこの辺りにはもう残っていません。大切にして下さい」

敷地内には、他にも、風呂や洗面など水屋がついた離れ、以前は酒造りをしていたという大きな蔵が一棟、庭に涼風を運んでくる庭園などが残っており、昔を偲ばせる。

主屋と違い、いづれも修理や改修など、ある程度手を入れる必要があるが、うまく役立てることができれば面白い仕組みに仕上がるのではないだろうか。
遠い昔の賑わいの香りを色濃く留めた造り酒屋の主屋は、今でも往事のままの貴重な姿を残しており、新たな働きを待ちわびている。
福岡市、天台宗、利生院

利生院 ( 障がい福祉サービス事業所 )

福岡市早良区に建つ天台宗のお堂、利生院。
創建は不明とされているが、敷地内に元文3年建立の 碑が建っていることから、江戸時代享保の前、1738年には庵を構えていたと思われる。
現在の建物は、お堂と主屋に分かれており、築120年以上は経っている。
350年もの間、地域を見守り続け、地域に 愛された、このお堂の最後の堂守さんが亡くなったのが8年前。
「利生院の土地と建物を地域貢献や社会貢献に使って欲しい」という故人の遺志が、ここに実現することとなり、2016年11月1日、精神障害者のための生活訓練事業所として生まれ変わった。
長い歴史に加え、堂守さんの細やかな心遣いと丁寧な手遣いで、とても大事にされてきた建物や庭は未だ気品を保っており、その改築作業には、何よりも庭と建物の調和が求められた。
持ち主や建築士などと細かい協議が行われたが、その結果、古民家の持つ重厚さを十分に活かし、庭と建物の調和を大切にした、木と漆喰がふんだんに使われた和モダンのテイストに統一された室内は、窓の外に広がるお庭の景色とも調和し、とても落ち着く空間へと仕上がった。
心に不安を抱える利用者の方々、利生院とずっと慣れ親しんできた近隣の方々にも好評とのこと。
賑やかな街から少し入った路地の奥に佇む利生院。
森に囲まれて緩やかに流れる時間の中で、お堂の不動明王にも見守られつつ、少しずつ癒されていく。
そんな素敵な施設となっている。